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それは「ほとんど」であって「全員」ではない

こんばんは。
上田@神楽坂のオフィスです。

ヒューマンデザインでは、「均質化」という言葉がよく出てきます。

全員が、
同じように考えて、
同じことをいいと思い、
同じことを悪いことだと思い、
同じことを「幸せ」の条件だとみなし、
同じことを、できて当たり前のことだと考え、
同じことを、全員ができるようになるまで努力させる。

個人主義が徹底されているように思われているアメリカでも、
「均質化」はとても根の深い洗脳(条件付け)だそうで、
ヒューマンデザインを学び、実践する上でも、
前に大きく立ちはだかっているらしいです。

協調性を重んじ、世間や人の目を気にする日本では、
その圧力はもっとすごいでしょうね。

カレーやシチューを煮込んでいくと、玉ねぎはもちろん、
ニンジンやジャガイモの形もだんだん崩れてきて、
やがて一様などろどろのスープになっていく、そんな感じです。

僕も今でも頻繁に、均質化の圧力によって、
自分本来のあり方と違う考えや
行動をとらされていることに気づかされます。

均質化の条件付けから逃れられない大きな原因として、
「均質化」で言われていることの一つ一つは、おそらく、
「70%から80%以上の人にとって、正しい」
ということがあります。

例えば、「挨拶は、コミュニケーションの基本だ」という
考え方をみてみると、
恐らく、90%以上の人は、この考えに同意するだろうし、
実際に、挨拶することで、人との距離が縮まったり、
会話や仕事がスムーズになることを実感していることでしょう。

人見知りが強く、挨拶が苦手だった人が、
挨拶できるようになって、
その効果を実感することもあるかもしれませんね。

その一方で、
「あいつは、ろくに挨拶もできない」
といわれることは、人として、大人として、社会人として
ダメな奴だという烙印を押されてしまいます。

恐らく、苦手な人でも、頑張って練習すれば、
「ほとんど」の人が挨拶できるようになるかもしれません。

しかしそれは、「ほとんど」の人であって、
「すべて」の人ではないのです!

ヒューマンデザインは、「違い」の科学であり、
人は全員違うということを、徹底的に学んでいきます。

どんなに頑張っても、どうしても挨拶することができない、
という人も必ずいて、
だからといってその人が他の人より劣っているとか
大事なことが欠けている、ということでは決してありません。

その人にも、生まれてきた役割、使命があり、
そのための才能があるのです。

均質化の力はとても強いし、
周りの人と同じだと、安心しやすいでしょう。

でもそんな時こそ、自己と向き合い、
「人は違うのが当たり前」
「私はその考えには共感できない」
という気持ちを大切にしたいと思っています。

奇しくも、いま佳境に入っている
東京オリンピック2020のテーマも

「多様性と調和」

多くの人がその価値や必要性を感じつつも、
それをどう実現すればいいのか、
ということについては、
まだまだ葛藤があるでしょう。

今こそ、
すべての人がオンリーワンの存在だということを
心と身体の両面で深く理解し、
本当の意味での多様性の尊重と、
その結果得られる、
調和のとれた美しい地球の実現に向けて、
真剣に考えるときだと思います。

そのためには、まずは
自分がオンリーワンの存在であることを
深く自覚し、
オンリーワンの存在として自分を生きる
ということからスタートするしかありません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごしください。