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メランコリー(憂鬱)は創造性の原動力

おはようございます。
上田です。

ヒューマンデザインに出会う前から、
最も尊敬している人の一人に
哲学者の西田幾多郎という人がいます。

食品会社で研究員をしていた時には
研究室の本棚に
岩波書店の西田幾多郎全集を並べて
それを眺めながら過ごしていました。

西田幾多郎全集の中で最も愛読していたのは、
哲学論文ではなく日記でした。

「人生の悲哀が著作の原動力だった」
という晩年の言葉には、
深く共感し、
「悲哀が原動力になる」ということが
それ以来、自分のモットーにもなっていました。

「憂きことのなほこの上に積もれかし限りある身の力ためさん」

これは、熊沢蕃山という人が詠んだ歌で、
「自分の力を試したいから、自分の人生にもっと悲しい出来事が起こりますように」
というような意味ですが、

うちの祖母は、
この歌を毎日自分に言い聞かせながら生きてきたそうで、
おばあちゃん子だった私は、
子供のころからそのことをよく聞かされていました。

そんなこともあって、
「悲哀が原動力になる」という西田先生の言葉が
自分の中に自然な形で深く浸透したのだと思います。

私自身は、心の中に深い悲しみの海が存在しているほど
人生を心から楽しめるという感覚があります。

ヒューマンデザインを学ぶ中で、
「個人の創造性の源はメランコリー(憂鬱)な感情だ」
という記述に出会い
自己肯定感が高まりました。

それは一般に言われるような、
「深い悲しみを知っているからこそ、
大きな喜びを味わえる」
という感覚ではなく、

悲しみの涙を
燃料として燃やしながら行動する
というのに近い感じです。

人それぞれ、人生の栄養となるものや、
原動力になるものが違っています。

自分のタイプに紐付けされた
シグネチャーという感覚にフォーカスすることで、
その点も明らかになってくることでしょう。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごしください。

P.S.
最近読んだ、「老いの美学」に関する本の中に、
「メランコリー」は西洋のルネサンス期に大切にされた美の規範であり、
日本の「もののあわれ」や「幽玄」と通じるものだと書かれていました。

ヒューマンデザインでは、現在の肉体を持つ私たちは、
50歳からが人生の開花の時期だと言われています。

このことについてまた改めてお伝えしていきたいと思います。