なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える
おはようございます。 上田です。
先日、
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」
という本を約30年ぶりに再読しました。
翻訳者が変わっていたこともあるかもしれませんが、
前回読んだ印象とは、
まったく違う感覚を持ちました。
最初に読んだときの印象は、
本書に対する先入観もあったのだと思いますが、
強制収容所で飢えや恐怖や強制労働という
想像もしたくないような環境の中で、
精神が壊れ、命を落としていくという
ただひたすら暗い印象として、残っていました。
今回あらためて読み終えて、
人間として生きることの尊さを
再認識しました。
過酷で絶望的な苦しさの中で
死にゆく人生に価値をみいだす。
そのためには、
いつかその状況から解放されて
平和や自由が得られる未来を夢に描くことが必要で、
それによって初めて人生の価値を実感できる、
と一般的には考えられがちですが、
苦しみの中で死んでいく生き方そのものの中に、
生きる価値を見いだすこともできる、
ということに
改めて気付かされました。
収容所生活を送った多くの人にとって、
「平和」や「自由」、「幸せ」は
生きる価値を見いだすための解決策ではなかったのです。
「私たちを支え、
私たちの苦悩と犠牲と死に意味を与えることができるのは、
「幸せ」ではなかった」
という著者の言葉に重みを感じます。
どんなに悲惨な状況においても、
たとえその状況の中で死に至ったとしても、
その人生に価値をもたらすためのマインドは、
「私たちが生きることに何を期待するのかを問うのではなく、
私たちが生きることに何を期待されているのかを問う」
ということだと著者は結論づけています。
何を期待されているのか、
と考えるためには、
誰が自分に期待しているのか、
という主語が必要になります。
それは大切な人だったり、神などの大いなる存在だったり、
自分が期待されていると感じるだけで、
生きる力が湧いてくる存在です。
自分が期待したり、希望を持つのではなく、
「自分が何を期待されているのか」という発想だけで、
人間はとても強くなれる。
ヒューマンデザインにおける決断や行動の基準となる
内なる権威とストラテジーは、
魂の声とか、ハイヤーセルフの導きとして説明されていることもありますが、
その実践を重ねていくうちに、
「宇宙や大いなる存在が自分に期待しているのは、
こういうことなのか」
と、感じるようになってきます。
昨年から参加しているコミュニティ(ヒューマンデザインとは関係ないものですが)で
「最低思考」という考え方を、
実践しながら考察を深めていることもあり、
「どんな人生に意味と価値があるのか」
について、これまで以上にずっと考え続けていますが、
本書を読んで、
「極限状態においても人生の価値を見いだせる生き方」と
ヒューマンデザインが提唱するあり方が
自分の中でクリアーに重なる感覚を持てました。
最後に、
本書に引用されていたニーチェの言葉を紹介しておきます。
「なぜ生きるかを知っている者は
どのように生きることにも耐える」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
今日も素敵な一日をお過ごしください。