余の妻は余の妻にして 余の友は余の友なり

こんばんは。
上田@神楽坂のいつものカフェです。

先日の、北陸温泉交流会の帰りに
石川県かほく市にある西田幾多郎記念哲学館に
何年かぶりに訪れました。

初めてここを訪れた時に感動したのは
レコード盤に録音された西田幾多郎の
肉声が聞けたことです。

今回目に留まったのは、次の言葉でした。

余の妻よりよき妻は多かるべく
余の友よりよき友は多かるべし
しかし余の妻は余の妻にして
余の友は余の友なり

この言葉は、彼が京大哲学科の同僚、
朝永三十郎に宛てた手紙に書かれたものです。
(朝永三十郎はノーベル物理学賞を
受賞した朝永振一郎の父)

優秀な若手に自分のポストを譲り、
他所へ行こうとした朝永に対して
「君はかけがえのない友だから、
行かないでほしい」
という慰留の手紙でした。

なぜこの言葉に惹かれたのか、

今思うと、
これは2通りにとれる
いろいろ考えさせられる言葉だと
感じたからなのかもしれません。

その2通りとは、
この言葉がどこから発せられたかによって
変わります。

すなわち、
思考から発せられたか、
自分の誠(ヒューマンデザイン用語で言うところの
内なる権威)から発せられたか
の違い、

言い換えると、
アタマで考えて言っているのか
本心から言っているのか
の違いです。

アタマで考えて言っているときは
自分自身を説得して
現状を受け入れようとしていることが多く、
良くも悪くも諦めに近い感覚なのかなと感じました。

本心から言えれば、
そのことに関して他人と比較することなく
確固たる自分でいる感覚、
これも諦めと呼ぶかもしれませんが・・・

「妻」や「友」を
他の言葉に置き換えてみると
いろいろな気づきにもなって
面白いです。

例えば、
親とか、子供とか、故郷とか、祖国とか、顔とか、デザインとか・・・

私自身は、そこにどんな言葉を入れても
心からそう思える生き方でありたいと
思っています。

ストラテジーと権威に従って行動し
人生のパズルがどんどん解けてくると
そうなるんでしょうね。

いずれにしても、西田幾多郎の言葉には
いつも深く考えさせられます。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごしください。