【続】「自分らしく」ということに聞き飽きた人へ
こんばんは。
上田@神楽坂のオフィスです。
珍しく、連投になります。
昨日のメルマガでは、
「自分らしい」という言葉に
拒否反応を示す人ほど、
本心では「自分らしく生きたい」と
思っているのではないか、
ということ、
および、
ヒューマンデザインは、
「自分らしさ」と
「自分らしく生きる生き方」の両方について
明快な答えを持っている
ということを書きました。
その答えについて、少し補足しておきたいと思います。
というのも、この答えというのは、
ある一人のカナダ人の男性に啓示という形でもたらされ、
生年月日と出生時間を使って導き出されるもので
言い換えると、一つの仮説だからです。
仮説というのは、
まだ科学的に証明される前の、
仮定の段階であり、
極端に言えば、まだ非科学的なものです。
非科学的というと、
ナンセンスだとか、価値がないとみなす人も多いと思います。
私自身も、非科学的だとみなされるものは
基本的には好きではありません。
ただ中には、
まだ科学的には証明されていないかもしれないけれど、
とても興味深いと感じるものも
たくさんあります。
そういうものに対して、
私は常々、
「非科学」ではなく「未科学」という言葉で
捉えることにしています。
「未科学」という言葉は、
私の母校である京都大学の前総長、松本紘先生が
講演のテーマとして話をされるのを聞いて、
「これだ!」と思った表現です。
その講演の中で、先生は
「未来を想像しなければ創造はできない」
「ただ科学者が想像したことを主張すると、
エセ科学者のレッテルを貼られる危険があるため勇気が必要」
だとおっしゃっていました。
実際に非科学的とみなされる神話の内容の中にも、
将来科学になるものも眠っているという例で、
旧約聖書に出てくる
「アダムの肋骨からイブを作った」
という話も、
IPS細胞を応用すれば可能な話になるということを
話されていました。
出生情報をもとに、
宇宙から地球に降り注がれるニュートリノ情報に含まれる
惑星の影響から、
個性が特定される。
このことが、科学的に証明される日がくるのは
まだまだ先のことでしょうから、
ヒューマンデザインも当分
「未科学」のままだと思います。
それでも、
ヒューマンデザインには
実践する価値があるということを
これからも、勇気をもって伝えていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごしください。