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ヒューマンデザイン麻雀部

こんにちは。
上田@神楽坂のいつものカフェです。

今日は珍しく長文です。
(また、野球や麻雀についてよく知らない方に
とっては、???な内容かもしれません)

今年に入ってヒューマンデザインの
プロフェッショナルコースの受講生メンバーで、
ヒューマンデザイン麻雀部を作り、
ほぼ月イチで麻雀しています。

麻雀をするのは何十年ぶり、
という感じなのですが、
久しぶりに打ちながら、
人生の愛読書でもある、
色川武大の書いた「うらおもて人生録」
の内容を思い出していました。

色川武大と、映画にもなった「麻雀放浪記」
の著者、阿佐田哲也が同一人物であること
を知ったのは、
もうこの世の人ではなくなってからです。

阿佐田哲也は、私が子供の頃、
深夜テレビ番組のコーナー「麻雀実践教室」で
その眼光の鋭さと特異な雰囲気を放っていて、
今でも強く脳裏に焼き付いています。

一度会った人は恐らく一生忘れることのないであろう
風貌と存在感の持ち主で、
当時の私は、その外見の印象だけで
阿佐田哲也という人を尊敬していました。

「うらおもて人生録」にはまさに、
ナルコレプシーと呼ばれる重い持病と
付き合いながら、人生をしのぎ、生を全うする
一人の人間の姿がありました。

しのぐ。人生を何とかしのいでいく。
そういう生き方は、今の時代においても、
人生のとても大切なスタンスではないかと思います。

生きるとは、老いの過程、酸化の過程であり、
汚れていく過程だということもできます。

その過程において、
プラスとマイナスのバランスを保ちながら、
寿命まで何とか持たせる生き方、
死ぬときが最高となるような生き方、
人生を積み上げていく生き方。

そのような自分にとって大切な生き方を
続けていくためには、
どん底の時期に、いかに何とかしのいでいくかが
重要になります。

逆にしのぐ生き方がフォ—ムとして
身に付いていれば、
死ぬまで自分らしい生き方を貫くことができます。

「うらおもて人生録」は青少年の読者を対象に、
多感な時期に人生の道を踏み誤らないで
強く生きて欲しいという願いを込めて書かれた
自伝的な人生論です。

その人生論は、博打打ちという、たいていの人が
まっとうな仕事とはみなさない稼業を通して
説かれたものではありますが、
すべて著者の実体験から書かれたもので、
誰にも教わらずに自分で悟っていったことなので、
読んでいてとても説得力があります。

「誰も何も教えてくれない。学校とは違う。
学校はだまって坐っていれば、
先生がみんな説明してくれる。
ところが俺みたいな奴は、
説明なんかしてくれない方が居心地がいいんだ。
先輩たちみんなの知恵を盗もうと思って、
眼をぎらぎらさせて眺めていたよ。」

著者はフォ—ムというものの重要性を
強調しています。

フォ—ムというのは、今日まで自分が、
これを守ってきたからこそ生きてこられた、
そのどうしても守らなければならない
核のことです。

それはプロ野球選手の投球フォームや、
打撃フォームに相当するもので、
それを各人個別の立場や役割に
当てはめたものでもあります。

フォームの重要性を示す例として、
王シフトを考え出した広島カープの白石監督は、

「王シフトは王貞治選手の打撃フォームを
崩すのが狙いだった」

と語っています。

がら空きのレフトに流し打ちをすれば
簡単にヒットが打てるけれど、
それを続けていると、そのうちフォームが崩れ、
一度崩れたフォームを立て直すには
時間がかかるというのが狙いだったのです。

ところが王選手はレフトに流すことはせず、
いつも通りライトへがんがん引っ張ってきました。

白石監督のもくろみは結局失敗に終わったのです。

サイコロ博打の場合、
そのフォームは張り方にあります。

アマチュアは次の目を、丁か半(偶数か奇数)か
あれこれ思案して当てようとします。

10回張ると、とにかく6回は当てて、
勝ち越そうとするのがアマチュアです。

プロは、極端にいうと、1勝9敗でも、
1勝すればプラスになっているように張ります。
次の目が丁か半か、
そんなことは考えてもわかりません。

どうしても次の目を当てなければ勝てないなら、
それは偶然の争いであって、
そんなものはやっても商売にならないから
手を出しません。

プロは遊びでやっているわけではないからです。

そしてこの原理を効果的に使用するためには、
現状の自分のツキの状態を、
できるだけ綿密に認識しなければならないのです。

自分のツキの状態を、一瞬一瞬、
測定していく眼を養うのが
プロの博打打ちなのです。

「本当に一目おかなければいけない相手は、
全勝に近い人じゃなくて、
相撲でいえば9勝6敗ぐらいの星を
いつもあげている人なんだな。

これもそのときたまたま9勝6敗が続いている
という人じゃなくて、
口に出したりなんかしないけれども、
はっきりと、9勝6敗くらいの維持を
目標にしてやっている人だ。

・・14勝1敗の人を1勝14敗にすることは
それほど難しくない。

ところが誰とやっても9勝6敗という人を、
1勝14敗にすることは、
これはもう至難の技だね。」

プラスとマイナスのバランスをとりながら、
循環運動を続けていくのが人生だということも
できると思います。

いいことと悪いことのバランスをとりながら、
ほんの少しいいことがまさった状態を
保ち続けていくのが人生ではないでしょうか。

9勝6敗の維持を目標とする生き方は、
まさにそのバランスをとり続ける生き方と
共通の根をもつものだと感じます。

さらに、8勝7敗ではなく、
9勝6敗を目標とするところに、
プロのプロたる由縁があるといえるのでしょう。

著者は、博打打ちが飛行機事故にあったら、
それは「運が悪かった」では済まされず、
明らかにミスだと断言しています。

ヒューマンデザイン麻雀部には、
実はプロの雀士の方も入っています。

彼女のデザインを見ると
まさに、生まれながらの個性として
強力な直感力の持ち主でした。

「フォーム」という言葉は、
ヒューマンデザインの中でも
とても大切なものとして扱われます。

「自分の個性に沿った生き方」を
「自分のフォームを保った生き方」
と言い換えることもできるのです。

そして、博打でいう勝ったとか負けたとか
いうことは、
ヒューマンデザインでは、

本当の自分(True Self)でいられたか
それとも自分らしくない自分(Not Self)に
なってしまったか

ということに置き換えることができると思いますてみると

True SelfとNot Selfを繰り返しながら、
9勝6敗でしのいでいくための
自分自身の生き方のフォームとは?

そんなことを考えながら
私は麻雀をしています。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今日もすばらしい1日をお過ごしください。

P.S
先月の麻雀大会は本当に本当に不調で、
配牌も悪ければ、ツモはもっと良くない感じで
もうひたすら忍耐の一日でした。