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「Humankind 希望の歴史(上)」を読んで感じたこと

こんばんは。
上田@神楽坂のオフィスです。

今日は、
徹底した性善説の立場から
人間の歴史を検証した本
「Humankind 希望の歴史」
について、考察してみたいと思います。

といってもまだ上巻しか読んでませんが・・

本書の冒頭では、
科学書のロングセラーである
リチャード・ドーキンスの
「利己的な遺伝子」
に対して、
否定的な見解を示しています。

ヒューマンデザインの講義の中でも
「利己的な遺伝子」の本はよく取り上げていますが、

むしろ、肯定的な捉え方をしていて、
人間は、
遺伝子命令に近いかたちで行動するときと、
遺伝子命令とは逆の行動を
するときがある複雑な生き物である、
という説明をするときに
参考にしています。

利己的な遺伝子という考え方については、
また別の機会に改めてお話ししたいと思います。

さて、
よくヒューマンデザインで
「自分のストラテジーと権威に従うと
みんなわがままになって利己的になって
世の中の秩序が乱れるのではないか」
と考える人もいますが、

本書「Humankind 希望の歴史」は、
決してそんなことはないということを
科学的な視点で説明してくれている本だと思います。

そこで挙げられている事例の中で
特に興味深かったのは、
「動物の中で人間だけが白目の領域が広い」
ということです。

想像するとわかると思いますが、
白目の部分は
相手に自分の視線の先や、
気持ちなどいろんな状態を知らせる働きがあります。

白目があるから
黒目がどこを見ているかを
相手に伝えることができるのです。

自分がどこを見ているのかというのは、
サバイバルの観点では
相手に伝わらないほうがいい情報です。

サングラスをかけている人に対して
警戒心をもつのも、
どこを見ているのか分からないから、
ということがあります。

このことからも(少し飛躍があるかもしれませんが)、
「人間は自分だけが生き残るようには
作られていない」
といえるのです。

言い換えると、
白目の観点で言えば、
人間だけが敵に自分の弱みを知らせながら
逆に生き延びている生き物だと
いうことなのです。

もう1つ興味深かったこととして、
人間よりもネアンデルタール人のほうが
脳が大きかったということです。

ネアンデルタール人は
人類の祖先ではなく、
絶滅した種である、
ということも分かってきていますが、

人間よりも脳が大きく発達していた
ネアンデルタール人が絶滅して、
なぜ人間は生き延びたのか?

本書では、1人1人が生き延びるために
知恵を働かせる能力は
ネアンデルタール人のほうが勝っていたけれども、

人間は、自分1人の知恵だけで
生き延びようとするのではなく、
他の人の知恵を使わせてもらって
共に生きようとする性質のため、
1人1人の脳はそんなに大きく発達させなかった
ということです。

これらのことから言えることは
人間はあとから教育されなくても
生まれつき他者と協力しあって
生き延びていく本能を持っている
ということです。

なので、
自分の体の声そのものであるストラテジーと権威は
決して自分勝手なものではなく、
自分の個性を発揮して社会貢献をして全体が良くなっていく
ということをきちんと選択してくれるものなのです。

人間はルールがないと戦争する生き物だとか、
極限状態になると凶暴になるという見方もありますが、

実際に戦争に行った兵士のほとんどは、
自分の命が危険であったとしても、
できれば銃の引き金は引きたくないと
最後まで願っていたという調査結果も
本書で紹介されています。

だから、
安心して体の声に委ねればいいんだと
改めて感じました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
素敵な夜をお過ごしください。