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―― ヒューマンデザイン紹介ビデオの最後に、Love your self (自分自身に愛を)とありますが、 これは、ヒューマンデザインのスローガンでもあるのですか?

スローガンといいますか、ヒューマンデザインを知るのとほとんど同時に聞いたメッセージなのですが、創始者のラーがいつも話していたことでもあり、実際、彼のメールの最後には必ずLove your selfと書かれていました。すべてはここから始まるとも言えます。

ただ、自分自身を好きになるといっても、好きとか嫌いというのは感情の問題なので、そう簡単になれといわれてなれるものではないと思います。ところがヒューマンデザインの考え方を理解し実生活で取り入れてみると、結果的に自分自身のことが好きになっていくということです。

日本人の私たちには「自分を愛しなさい」ということに馴染みがなかったり、自分を好きだということは、わがままなことだとか謙虚ではないというふうにも取られがちですけれども、これからお話したいと思っているヒューマンデザインジャパンが目指すもの、目指す社会、目指す世界にとって、「自分自身に愛を」ということはすべての中心になっていきます。

―― Love your selfについて創始者ラーはどのように話していたのでしょうか。

ラーがメールの最後に必ず書いてくれていたので、「それはあなたにとってとても大切なことなのですね」と質問したことがあります。 ラーからの答えは次のようなものでした。 「世の中には立派な人がたくさんいるけれども、偉人と呼ばれる人の日記や自伝の中には、読むとほとんどの人が自分のことがあまり好きではないということが書かれている。これはある種向上心であるということかもしれないが、自分のことが好きではないということに驚きを覚えた。 人間というのは、自分らしく生きていれば必ず自分を好きになるものだと思う。ヒューマンデザインもそのことを伝えていくものでもあり、かつての偉人たちも自分のことが好きではないにもかかわらずあのように立派なことが出来たのだから、もし自分のことが大好きで、自分らしい生き方が出来ていたなら、いったいどんな素晴らしいことを成し遂げていたのだろうと思う。」と。 要するに、すべての人が自分のデザインを生きると結果的に自分のことが好きになって社会のために最も貢献できるということなのです。

「頭で決めずに、あなたの内なる権威に従うことからすべてが始まる」

―― ヒューマンデザインでは、それぞれのタイプの方針と内なる権威に従って生きることが一番大切だといわれていますが、それはどういうことなのでしょうか?

不思議に聞こえるかもしれませんが、大切なことであればあるほど頭で考えて決めないほうがいいということです。

―― 頭で決めないということは、それ以外で、どこで決めるのでしょうか? たとえば、一般的には、感情で物事を決めてはいけないといわれることが多いですが。

まずヒューマンデザインでは、感情でものごとを決めるタイプの感情権威という人たちがいます。感情が内なる権威となっている人は、最終的には自分の感情でものごとを決めることで正しい選択ができ、その一方で、感情にまかせてものごとを即決することが絶対あってはならない人たちでもあるのです。

―― 感情で決めるのに感情にまかせてはいけないというのは、一体どういうことなのでしょうか?

世の中の約半分を占める感情が内なる権威の人は、喜びや悲しみ怒りの感情にまかせてすぐにものごとを決めてしまいがちですが、そうして決めたことはたいていうまくいかないということです。でも、だからといって頭で分析して決めていいというわけではありません。感情が内なる権威の人はあくまで感情の波の中でものごとを決断していかなければならないのです。一方、感情権威でない残りの約半分の人は、自己の決断において感情の動きを見る必要はありません。その人たちは感情以外が内なる権威になっていて、いずれにしても頭(思考/マインド)が自分の内なる権威になることはないのです。

―― 私はかつて、情報を分析しいろいろなことを勘案しものごとを決めることが多かったのですが、それは頭で決めていたということでしょうか?

頭の役割のひとつとして情報を比較検討し分析することがあります。多くの人はその分析結果にもとづいてものごとを決めています。言いかえれば、言葉は悪いですがそれは損得勘定をしているということでもあります。思考力が高い人ほど緻密な損得計算ができるのです。損得計算に使われる数字は一般論から得られるものが多く、たとえば仕事を選ぶときに通勤が便利かどうか、給料がいくらか、休みは何日あるかなどという条件を並べて、それぞれに点数を付けて合計点の多いものを選ぶというイメージです。そうやって決めることで7~8割はうまくいくことも多く、安全で無難な選択ができるでしょう。ただ、あなたの魂が喜ぶ、本当に自分にとって正しい選択ができるかといえば答えはノーなのです。 周囲からはとても恵まれているといわれているにもかかわらず、どこかむなしさを抱えて生きている、、、。頭で考えてものごとを決めることが多い社会では、おのずとそういう人が増えていきます。

―― 今のお話のような損得勘定抜きに考えるべきだということは、たとえば、「最後は自分の信じる道を行けばいい」とか「自分の心に正直に生きることが大切である」など、すでにいろいろな本が出版され、多くの方が伝えていることでもあると思うのですが。

確かに頭で考えるのではなく、自分の胸に聞き自分の心に正直になって決めればいいということを話している人もたくさんいます。ただ、その考えは正しいとしても、では自分の心に聞いてみるといっても実際のところどうすればいいのか何をすればいいのかという悩みを持つ人は多いと思います。 先ほどからお話している方針と内なる権威というものは、一人ひとり違っていて、自分がどこを頼りにして物事を決めていけばいいのかということを明確にしてくれるものです。 たとえば「自分の胸に聞いて決める」「心に聞いて決める」ということが、ヒューマンデザインではハートセンターで決める人、Gセンターで決める人、感情センターで決める人など、というように人によって細かく分かれるとともに、どのように決めればその人にとって正しい選択ができるかまで具体的に説明されています。ヒューマンデザインはそのような実用的な解決策を提示しているのです。

―― 自分の内なる権威に従って決め行動していくと、どうなるのでしょうか?

基本的に全員が、他の誰のものでもない自分自身の人生へと入っていくことになります。ピンとこないかもしれませんが、頭で考えて決めているうちは実はほとんどの人が同じ方向に向かおうとしてしまうのです。 たとえば、「○○歳までに結婚し、子供を持つことが幸せである」とか「公務員のような安定した仕事について定年まで働くのが良い」「離婚をするなんてもってのほか」「水商売や占い師やネットワークビジネスなどはまっとうな仕事ではない」等々、いろいろあると思います。 要するに、何が良くて何が悪いかということは、人それぞれで違うということです。頭で考えて決めてしまうと、その時代や世代の中で主流になっているある種の「正しさ」の方を選んでしまいがちなのです。そこにはあからさまなものから無言のものまで、あらゆる圧力があります。その圧力のことをヒューマンデザインでは均質化と呼んでいます。均質化には、民族や国の伝統、家庭でのしつけ、学校での教育、自分の正しさを人に押し付けることなどさまざまなものが含まれます。 内なる権威に従ってものごとを決めることができれば、均質化の呪縛から解き放たれるのです。ヒューマンデザインを広げようとしている行為そのものが、均質化との戦いともいえます。ヒューマンデザインを学んで、自分にとっての正義を人に強要しなくなることで、人間関係も良好になっていきます。

「ヒューマンデザインとは、究極の幸福論」

―― ヒューマンデザインのいう幸せとは、どのようなものなのでしょうか。

世の中には、こうすれば幸せになるとか、こうすればお金を稼げるという本などに書かれている、ある種の成功哲学や幸福論があふれかえっていますが、それらをよく吟味してみると、それらが語っている成功や幸福は他の人の失敗や不幸がなければ成り立たないものになっています。全員が一億円を手にしてしまったら、お金の価値なんてなくなり、本の通りの成功や幸せにはならなくなってしまいますから。周りの人は持っていないが自分は持っている、周りの人はうまくいっていないが自分はうまくいっているから、成功、幸せと定義されているのです。
また、すべての人が互いに尊重し合い思いやりにあふれ、ズルイ人やねたみを持つ人がひとりもいない社会が実現できたとしたら、逆にどこか薄っぺらくつまらない世の中だと感じてしまうかもしれません。
ヒューマンデザインでは、人を挑発し嫌な思いをさせる役割の人や大事なこともすぐに忘れてしまう人、一生、試行錯誤をくりかえす人、自分のエゴを人に押し付ける人、何事もすぐに決められない優柔不断な人、一生、自己のアイデンティティを確立できない人、人をだます使命をもつ人など、多少誤解をまねく表現かもしれませんが、生まれつきのデザインとして定義されます。 自分のデザインを生きればたとえそれがどんなものであっても、自分自身が生きがいを感じ、結果的に世の中に最も貢献することになるのです。 ヒューマンデザインの内なる権威に従って行動すると、必ずしもお金を稼げたりみんなから尊敬されたりする人生にはならないかもしれませんが、本人にとっての完璧な成功哲学なのです。
ヒューマンデザインは、すべての人が幸せになる(自分の人生に満足できる)究極の幸福論だと思っています。