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ヒューマンデザインの起源は神秘性をともなっています。
しかしその中には現代科学の見地から見ても興味深い点がいくつかあります。なかでもニュートリノに関する記述は、2002年に小柴昌俊東大名誉教授が、また、2015年に梶田隆章東大教授がノーベル物理学賞をとったこともあり日本人には特になじみ深いのではないでしょうか。

ニュートリノとは、1933年にオーストリアの物理学者パウリによって理論的に存在を予言され、26年後に実験で確認された電気的に中性(電荷ゼロ)の素粒子です。他の粒子との相互作用がほとんどなく、物質を素通りするため、宇宙のはるか彼方や太陽の中心部で発生したニュートリノは、そのまま地球の表側から裏側へ通り抜けていきます。

1987年2月23日16時35分(日本時間)、大マゼラン星雲中の超新星「1987A」爆発の際に放出されたニュートリノが岐阜県神岡鉱山にある東大宇宙線研究所・神岡宇宙素粒子研究施設のカミオカンデ(水3000トンを蓄えた巨大タンクを核とする素粒子観測装置)で検出され、ニュートリノ天文学の幕が開けました。この時のニュートリノは大マゼラン星雲から実に15万年もの宇宙の旅を経て地球に到達したもので、その爆発の様子はチリの山頂から肉眼でも見ることができました。ただ当時はまだ、ニュートリノに質量があることは証明されておらず、質量ゼロのエネルギー粒子とみなされていました。

その51日前、即ち1987年1月3日、スペイン沖のイビサ島に住んでいたラー・ウルフという男は神秘的な経験をし、8日間にわたる啓示の中で宇宙と地球上の生命構造に関する基本情報を伝授されます。物理学のバックグラウンドを持ち、占いや迷信のたぐいを毛嫌いしていたラーにとって、啓示の内容はまったくもって理解を超えるものでした。

ラーはその後、数多くの臨床結果から啓示内容の正しさを確信し、1992年頃からヒューマンデザインをまわりに伝え始めます。その説明には、「ニュートリノには質量があり、情報伝達の媒体となっている」という内容も含まれていました。その後、スーパーカミオカンデの研究グループがニュートリノに質量があることを突き止め、1998年に学会で発表。2002年、ニュートリノ天文学に関する一連の功績が称えられ小柴名誉教授にノーベル物理学賞が授与されました。

私たちの周りの宇宙空間には、ニュートリノ粒子やニュートリノを発生させる無数の恒星が存在しています。上で述べたように、今日ではニュートリノが質量をもつことが科学的にも知られています。実はニュートリノが質量をもっているという事実は、私たちが太陽系の惑星によって影響されることを理解する上で大きな鍵となります。質量は情報を蓄えるために不可欠で、ニュートリノの質量は情報を保持し、他の場所で情報を転送できるビデオテープのような働きをするからです。

ニュートリノは絶えず宇宙の恒星群から地球に降り注いでいて、その数は1平方インチ(6.45平方センチ)あたり毎秒3兆個以上といわれています。私たちに情報を運びながら身体を通り抜け、また私たちの情報をに持ち去って行きます。

何かがニュートリノの途上に入り込むと、たとえば火星がその途上に入ると、ニュートリノは火星を貫通しますが、その際ニュートリノの粒子と火星の構成粒子がわずかに影響を及ぼしあい、互いの情報を交換します。それはちょうど、黒い車と白い車が接触した際、黒い車にわずかに白い塗料がつき、白い車にわずかに黒い塗料がつくようなものです。火星のフィルターを通過したニュートリノは、火星の情報を携えて地球にいる私たちの体を通過し、私たちに火星の情報を伝えるのです。

これまで占星術の信憑性について説明する際、統計学なものだというしかなかったのですが、ニュートリノ天文学によって、ようやく別のもっともらしい理由付けができるようになりました。特にこの世に生まれた瞬間に地球を貫通するニュートリノが、その人の人生に最も大きな影響をもたらすのです。

「占いには興味ないけど宇宙理論は大好き」という人にとっても、ヒューマンデザインは刺激的な問題提起をしてくれるでしょう。ここでは語りつくせませんが、ヒューマンデザインはそれだけの耐久力と深遠さがあります。知れば知るほど、そこに秘められた理論を越えた美しさに魅了されるに違いありません。