ヒューマンデザインジャパン代表 上田紘資インタビュー vol.1

ヒューマンデザインジャパン代表 上田紘資インタビュー Interview

インタビュー目次|vol.1vol.2vol.3vol.4

「創始者ラーとの出会い、そしてヒューマンデザインジャパンの代表になった経緯」
―― ヒューマンデザインジャパン10周年おめでとうございます。
ヒューマンデザインジャパンの代表になった経緯をお聞かせください。

vol2_12003年12月、ヒューマンデザイン創始者ラー・ウルフに初めて会いました。
上田:「ヒューマンデザインは素晴らしいシステムだと思っていますし、日本にもこれが広がっていけばいいと思います。」
ラー:「君と連絡を取りたいから、ここ(ラーのアドレス)にメールをして下さい。」
2004年の1月に、ラーからヒューマンデザインジャパンの代表への招待が来ました。 そして、2004年4月、スペインのイビサ島でラーのクラスを受け、ディレクターズ・ミーティングが有りました。そこの冒頭で、ラーが世界の代表たちに私のことを紹介してくれました。
「まず始めに、私たちに新しい仲間が出来ました。
Koji Uedaが代表となってヒューマンデザインジャパンが設立されたのです。」と。

―― ヒューマンデザイン・ジャパンを設立し代表となった上田さんに対して、創始者のラーからどのようなお話があったのですか?

ラーと一対一で、ヒューマンデザインジャパンの今後の運営方針について、いろいろな角度からアドバイスをもらいました。その内容の一部を紹介します。

「日本でヒューマンデザインを学ぶ人は、すべて君を通って入るようにするのがいい。」
「将来的には、JovianやIHDSに頼ることなく、日本は日本のヒューマンデザインを創り上げていって欲しい。」
「通訳者と翻訳者が、今後日本の発展の鍵となるだろう。良い人が見つかるといいね。」

など、他にも、今録音を聞きなおしてみてもハッとする、今後の運営の肝となる数々のアドバイスをもらいました。

―― 日本でヒューマンデザインを学ぶ人がすべて上田代表を通って入るようにする、というのは、具体的にはどのようなことを意味しているのでしょうか。

ラー曰く「世界中の代表にはいろいろなタイプがいる。エンペラーのような形ですべてをコントロールしている代表もいれば、何のコントロールもせずすべてを自由なかたちで放置し、必要なものだけを提供してそれをビジネスにしている代表もいる。
たいていの国の代表は、その中間のどこかのスタンスに立っている。
君のデザインを見てみると、君は前者の、エンペラーのような形でヒューマンデザインジャパンを運営すべきだ。
日本でヒューマンデザインに入ってくる人はあなたを通して入ってくるような仕組みをつくれれば理想的だ。」とのことでした。

「寝ても覚めても、すべてがヒューマンデザインの日々」
―― 創始者ラーのその言葉を聞いてどう感じましたか?

まったくピンときませんでした。
自分は明確な目標を掲げてリーダーシップをとるような性格ではまったくないし、どちらかといえばすべてを曖昧なままにして、浮き草のように生きていきたいと願っているような人間ですから。
ヒューマンデザインジャパンの代表になった後も「できれば、他の仕事と掛け持ちではなくヒューマンデザインだけに専念してほしい。ヒューマンデザインだけに全力を注いでほしい。」というラーの期待には応えられずにいました。

―― そうだったのですね。現在は、ヒューマンデザイン一色の日々にお見受けしますが。

vol2_2もともとは霊性研究家で、人というのは、どういう思いで日々生きているのかを切り口として、人間の精神性についていろいろな角度から研究してきました。
日本の神道や西洋のスピリチュアリティについても並行して研究しつつ、ヒューマンデザインはその中で大きな位置を占めている形でしたが、ヒューマンデザインだけに取り組まなければならないような状況に、過去2回追い込まれました。
1度目は2010年の3月、突然目が見えなくなり、耳も聞こえなくなってしまったのです。長期の入院を余儀なくされ、睡眠時間が長くなり夜中に目が覚めたりいろいろな夢を見たりする中で、夢の中にラーが出てきてうなされたりもしました。
その夢の中でラーが話していたことで一番印象深いのは、次の言葉です。

「おまえはまだまだヒューマンデザインのことがわかっていない。ヒューマンデザインは自己分析や人生を良くするための、単なるひとつのツールとしか考えていないだろう。実はヒューマンデザインはそのような単なるツールではなく、命の根底に横たわる基礎となっていくものだから、お前が今かかっている病気だって、ヒューマンデザインですべて説明できるようになる日がくるだろう。医学や生理学、科学のあらゆる分野がヒューマンデザインによって今後ますます発展していくものなのだから。」

「ごめんなさい、わかりました、ごめんなさい。この病気がもし治ったならば、ヒューマンデザインに専念します。もっとまじめにやります。」
と私は夢の中で答えていました。

2度目は今年の5月の終わり。
何十年ぶりに40度以上の高熱が2日間続き、あまりの苦しさに、深夜、自分で救急車を呼びました。
その時にもラーが出てきて、「ヒューマンデザインに専念しろと言ったのに、何に執着しているんだ。」
この、ラーのいう執着とは、ヒューマンデザインに使えると思い取っておいたさまざまな書籍や、過去にした研究をまとめた何十冊に及ぶノートなどのことだと思い当たりました。
そしてそれらを、体調が快復した後、思い切って中身も何も見ずに捨ててしまいました。中を見たら捨てられなかったと思うので。
そんな経験をするたびに、ヒューマンデザイン以外のものがどんどんそぎ落とされていき、思考も身の回りの持ち物すべても、非常にすっきりシンプルなものとなりました。
今では寝ても覚めてもヒューマンデザインという感じです。
とにかく自分自身が自分のデザインを知って、その通り生きてみて正直な感覚は、そこに何が起こるのか観察し楽しむ。そういう日々を繰り返していると、本当にヒューマンデザイン以外のものが何も残らなくなってしまったのです。
この2回の、病気や高熱での神秘体験による強制リセットのようなものが起こったということも大きいですけれど。
今は、10周年を迎え、まさに心身ともにゼロからの出発という感じです。 

[企画・インタビュー・写真・記事:中村亜紀]